ばあちゃんが亡くなって、満二年。俺の親は親族を集めて、三回忌を執り行っていた。
「・・・・・
「愛」とは 他人を 愛すること 見返りもなく 尽くすこと 与える愛とは 無償の愛 菩薩の 慈悲に ほかならず
・・・・・・」
朗々とした坊さんの声が、部屋に響き渡っていた。坊さんの前の仏壇には、両脇を花に囲まれて、ニッコリと嬉しそうに笑った、ばあちゃんの写真が置いてあった。それは本当に良い写真だった。まるで、写真の中のばあちゃんが、今にも動き出し、笑い声まで聞こえてきそうだった。その写真は、明るく元気だったばあちゃんの性格もよく表していた。
ばあちゃんが亡くなった時、俺は柄になく泣いた。亡くなる前は、ボケておかしなことを言ったり、したりしていたが、それでも俺にとっては、大好きなばあちゃんだった。ばあちゃんは、小さい頃から不愛想だった俺を、他の愛嬌ある孫たちと一緒に可愛がってくれた。小遣いも毎回会う度にくれた。孫たちの理想のばあちゃんだったと思う。でも、そんなばあちゃんでも、全くの善人だったというわけではなく、俺が大人になってからは、ばあちゃんの悪事も色々と聞くことになった。悪事の中には、眉を顰めたくなるようなこともあり、そのことについては、俺なりに、思うこともあったけれど、それでも、俺は、ばあちゃんのことを嫌いになることは出来なかった。
しかし、そんな、ばあちゃんのためとはいえ、今行われている法要は、俺にとっては苦痛だった。別に目の前にいる坊さんや法要のやり方が気に食わないなどと言うものでなく、全般的に法要というもの自体が苦痛だった。


法要の日に
法要の日に